ブログが書けないタイプの人間
あとから見返すのが嫌だからツイッターに流してしまうんだなあ。
力の源泉
人間は自由を求める。
人間は秩序を求める。
どちらも、おそらくは事実だろう。
それは状況によって左右されるにすぎない。
個人を越える何かしらの力というものは、別に地の底や天の果てから降ってくるものではない。
そのようなものが成り立つのは、望まれたことによる。
自らの及ばない現実に直面した結果として、人間はその時々の都合で希望を形成する。
えてして形のないものこそ、形のあるものからでてくるのだ。
委ねた時に失うものがあることは、あらかじめ確認しておいた方がよいだろう。
人間社会とは、最終的かつ現実的に、一人一人の具体的な誰かのことだ。
困難な時代の権力の動向は、平穏な時代のそれと特段変わらない論理で動いている。
何年かぶりの発掘
うわぁ。
最初に出た言葉はおおむね、そのようなものだった。
次に出てきたのは、嫌な汗。
額や脇からじわりと、たらりと、冷や汗が出る。
そう、先ほど私は何度目かの自身の黒歴史と遭遇したのだった。
このブログのことである。
とくに迷うことなく、過去記事は速やかに荼毘に付された。
恐らく自分の書いたものとか作ったものとか、一切の成果物のようなものに対して
恥じることなく接することが出来る日は来ないだろう。
私はそういうタイプの人間であり、その手のものを出力することに長けている。
だったらどうするのか。おそらく解決策はいくつかあるだろう。
数をこなして書きなぐり逃げぬけるのが、一番手っ取り早い。
幸いにして、人生どこかに青山あり、である。
もしくは、徹底的に形式に準ずることによって個を封じるか、であろうか。